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<半兵衛のひとりごと06>
「どうして建築理論に言語が関係あるの?」

「どうして建築理論に言語が関係あるの?」

かつて、天才と言われた言語学者ソシュールは、言語の構造を説明する際に建築の構造を例に挙げました。
土台があり、その上に柱がある。そして柱頭には飾りが施される…といった何気ない話ですが、一部の建築家たちは見逃しませんでした。
それまで政治や宗教、あるいは営利目的の要望等、様々な制約の中でしか実現できない建築は、他分野よりも思想の面では後れを取っていました。武器は「黄金比」くらいしか持ち合わせていないのですから。時代が変わり、設計の自由度は高まったのですが、だからと言って、それまでのスタイルを変えるのは容易ではありません。そこで新たな造形的可能性を求めて、先進的な他分野の理論を参考にし始めました。

最初は安易に、言語の構造をヒントにして純粋な建築のルールを見出そうとしたのでしょう。勿論、形を持たない言語と物理的に存在する建築とは同じではありません。そこからが新たな苦悩の始まりです。
当時、思想の世界では、言語学やあるいはそれを汎用化した記号論がトレンドで、そこからヒントを得た絵画や詩の分野ではすでに革新的な多くの作品が生み出されていました。20世紀初頭のアヴァンギャルドたちです。その理論の源はこんなところで繋がっていたのです。

時代は高度成長期に入り、人々は小難しい芸術論よりも、お金を生む商業建築を求めるようになりました。
そんな中、地道に建築言語の研究を続ける建築家もいました。コルビュジアン(ル・コルビュジェのフォロワー)でもあるニューヨーク・ファイブのメンバー、ピーター・アイゼンマンとマイケル・グレイヴスです。アイゼンマン氏は言語自体の構成・関係性を取り扱う「統語論(シンタクティクス)」、グレイヴス氏は初期の頃だけですが、言語・記号の奥にある意味内容を取り扱う「意味論(セマンティクス)」を担当しました。
彼らが建築理論をさらに難解にしてしまった犯人かも知れません。現在はもう少し新しい考え方に進化しています。(ちなみに日本では、アイゼンマン氏と交流のあった藤井博巳が同様の研究をしています。難しい理論が受け入れられない日本では無名の建築家ですが、海外では理論派の前衛建築家として高い評価を得ています。)

最初は言語学の高度な理論を建築に活かせないかという、他力本願な取り組みだったのでしょうが、その後、多くの発見があり、独自の進化を遂げました。
机上の空論で終わらせないよう、建築家は作品にその理論を反映させることに尽力することになります。そこで「生みの苦しみ」を味わうことになるのです。
なぜなら、理論を「再現」するという行為は、そもそも実存主義的自己矛盾にもなるからです。
そこでさらに進化を遂げるため、出口の見えない迷路への挑戦が続いたのです。幸い、芸術家は学者と違い、理論の厳密な証明は求められていません。作品をどう解釈するかは読み手の判断に委ねられるため、問題提起となるだけでも成功です。不完全でも経過報告として作品を発表することができるのが救いでした。メディアを賑わすには十分な材料となったのです。

その後は、「見る主体」が知覚する断片の集積が、いかに構造化されていくかというプロセスに着目することで、よりリアルな実験的作品がつくられるようになりました。頭でっかちな理論派の作品が、天才肌の感性頼りの作品よりも、結果的に見た目はかなり奇抜だったりします。
そしてその作品は私たちに読み込む愉しさを与えてくれます。ロラン・バルト風に言うと「快楽のテクスト」と「悦楽のテクスト」でしょうか。

初めは単に建築の構造と言語の構造が似ているという安易な発想だったかもしれませんが、その後すぐに、実は人間の思考そのものが言語に支配されてしまっているという事実を発見することになるのです。建築に留まらず、人がそこに意味や価値を求めようとする限り、いかなる創作活動も言語の呪縛から逃れることはできないのです。
でもそれは決してネガティブなことではありません。
むしろ日常生活の上では便利な機能なのですから。貨幣の仕組みも象徴交換という意味では言語と似ていますし、他の分野でも、心理学的アプローチがなされるところには、多かれ少なかれ言語学が関わっています。
つまり、建築のみならず、あらゆる創作活動が言語と密接に関係しているということです。言い換えれば、建築という概念そのものが言語の一部なのです。アヴァンギャルドの手に掛かれば、建築という枠組みさえもいずれ解体されていくのです。

ここでは時系列の流れをかいつまんで話しただけで、具体的な理論については一切触れていません。
先人たちのワクワクするような論理展開、ビックリするような作品を紹介できませんでしたが、興味のあるマニアの方は、是非調べてみてください。

私は学部時代に独学でここまで学び、やっと先人たちが用意してくれたスタートラインに立てました。そこからは「藤井研」で地獄の特訓を受け、曲がりなりにも持論を語れるようになりました。今となっては宝の持ち腐れですが。

(追伸)
「半兵衛のひとりごと」シリーズは、編集の都合上、大幅に内容をカットしてあります。補足説明がないため、誤解を招き兼ねない記述も多々あると思います。お気を悪くされる方もあるかも知れませんが、あくまで「ひとり言」だとご理解いただき、何卒ご容赦願います。