<半兵衛のひとりごと 02>
「心地よいってどんな感じ?」
「心地よいってどんな感じ?」
心地よさを感じるということは、そもそもどういう知覚現象なのでしょう?人それぞれの何らかの「ものさし」を用い、「調和・安定・均衡」を認識することで得られる感覚、言い換えると、身の危険に繋がるかも知れない「不調和・不安定・不均衡」の「排除が」、本能的に且つ無意識的に心地よさとして感じられるとも考えられます。
まわりくどい言い方になり、分かりにくいかも知れませんが、その「ものさし」がカギとなるということです。
価値観が多様化して基準が定まらない現代では、前提となる条件が曖昧で、なかなか共通解を見出しにくいとも考えられます。
しかし、実はその「ものさし」の曖昧性と脆弱性が、様々な差異を生み、文化にもなり、いずれはパラダイムシフトのきっかけにもなり得るという事実に気付くと、すべてが繋がってくるのです。
他の記述の中で、説明のために和・洋の空間構成の二項対立を示しましたが、実際には簡単に分けられるものではありません。
例えば、モダニズムの巨匠ル・コルビュジェが唱えた5原則には、とても日本的な要素もあるのです。
また、かつて絶対的な美の基準として使われた「黄金比」(日本では「白銀比」)が、洋の東西に関わらず至る所で発見できてしまうのも同様で、現象は常に滑稽で複雑なのです。ただ、ここにも「ものさし」の宿命とも言える特性が見え隠れするのです。
私たち建築屋に求められるのは「場」の提供として、空間をつくることです。
床、壁、天井といった「面」で物理的に囲われた空間を有機的に繋ぎ合わせて間取りを考えます。
ただそれだけだと思っていると、決して科学的に心地よさを語ることはできません。
人は、物理的に存在するものだけで空間を認識するのではなく、心理的に空間を認識する力を持っています。物理的存在と心理的効果の微妙なズレが流動性・曖昧性を生み、常に「不調和・不安定・不均衡」を伴うが故に、「調和・安定・均衡」を求めてしまうとも言えます。
この流動性・曖昧性は、決して排除すべきものではなく、価値基準の転換(パラダイムシフト)に必要不可欠な「余白」であり、言語活動の醍醐味でもあります。
この安定と不安定の間を行き来する中に、対比効果から、ふと心地よさを感じる瞬間があるのでしょう。そこに、経験や記憶といった個人的な差異も重なり、現象としてはより複雑になります。
ここから先は少し難しくなりそうなので、紹介だけに留めておきます。
単に心地よさの知覚という一現象に留まらず、人間の思考のメカニズムそのものの話になります。
そこに関わる言語の構造化のプロセスが普遍性を探るヒントになり、さらに、知(knowledge)に依存する言語と、知に依存しないゲシュタルトとの相補的な関係を理解する必要が生じてきます。
別の角度からの見解にも興味のあるマニアの方は、私の師である建築家・藤井博巳の建築試論について、「無の場所(The Place of Nothingness)」と関連付けた思想家による記述もありますので、それをヒントに形而上学的なアプローチを試みてください。
話が逸れましたが、理屈はともかく、直感的な心地よいという感覚は、様々な個人の経験や学習や、そこから生じた違和感も踏まえた上で、無意識的に表れた現象の一つです。
実は間違った憶測・理論より余程正確なのかも知れません。というわけでアトリエ木粋舎では、初心にかえり、素人目線で単純に心地よい空間、四季を楽しめる場の在り方を探ってみたいと思います。
理論不在の建築が横行して30年。その結果が今の建築界をつくってしまったと言えます。
目前の利益も大事ですが、伝統(継続してきたもの)から本質を学び、変革しながら今に活かし、次世代に繋ぐ知恵が必要ではないでしょうか。