<半兵衛のひとりごと08>
「ものさしと余白」
「ものさしと余白」
人は物事を判断し、意味を理解しようとするとき、必ず価値判断の基準となる「ものさし」を使います。そのかたちは様々です。
馴染みが深いところでは、貨幣もその一つです。
ものの価値を価格に置き換えて象徴交換します。言語と同じです。本来、同じものでも人によってその価値は違うはずですが、共通のルールがあるととても便利です。
家の価値もお金に換算できます。でも高い家は良い家で、安い家は悪いと言えますか?少し違う気がします。
「ものさし」というのはそういうものです。
だから皆、いろいろな見方ができるよう、複数の「ものさし」を使います。住宅の性能もそうです。断熱性能を表す数値も「ものさし」の一つです。
ただ、その「ものさし」は万能ではありません。少し見方を変えるだけで全く違う評価に変わってしますのです。そもそも「ものさし」は人が「恣意的」につくるものなのですから。
ある観点からはとても役に立つ「ものさし」でも、すべてを測れるわけではありません。
こんな例もあります。昔、人々が秩序のある暮らしができるよう、ある国が都市計画を立てました。
その秩序に対応できない病人と犯罪者をひとまとめにして施設に収容しました。今では考えられない都市計画です。
つまり、「ものさし」をつくることは「排除」の法則をつくることにもなるのです。今では病院のない都市計画などあり得ませんが、「排除」された部分が「余白」であり、「ものさし」の不完全さを示す鏡となり、より有益な「ものさし」をつくり出すヒントになるのです。
断熱性能という「ものさし」もあれば、「価格」という「ものさし」もあります。どれも分かりやすい判断基準になりますが、それらは何かを「排除」したルールなのです。その「余白」部分がパラダイムシフトのきっかけになるのです。
(追伸)
「半兵衛のひとりごと」シリーズは、編集の都合上、大幅に内容をカットしてあります。補足説明がないため、誤解を招き兼ねない記述も多々あると思います。お気を悪くされる方もあるかも知れませんが、あくまで「ひとり言」だとご理解いただき、何卒ご容赦願います。